大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和51年(行ツ)27号 判決

上告人

笠原サダ

右訴訟代理人

下光軍二

外三名

被上告人

京橋税務署長

島村甲子

右指定代理人

扇沢義弘

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人下光軍二、同両角吉次、同安彦和子、同青山敦子の上告理由第一について

夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定める民法七六二条一項が憲法二四条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和三四年(オ)第一一九三号同三六年九月六日大法廷判決・民集一五巻八号二〇四七頁)とするところである。そうして、本件不動産が名実ともに上告人の所有に属するもので、その特有財産であつたとする原審の認定判断は、原判決の挙示する証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、独自の見解に立つて原判決を非難するものであつて、採用することができない。

同第二について

所論指摘の原判示が矛盾するものでないことは、原判文上明らかであり、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないものであつて、採用することができない。

同第三について

所得税法三三条一項にいう「資産の譲渡」とは有償無償を問わず資産を移転させるいつさいの行為をいうものであり、夫婦の一方の特有財産である資産を財産分与として他方に譲渡することが右「資産の譲渡」にあたり、譲渡所得を生ずるものであることは、当裁判所の判例(最高裁昭和四七年(行ツ)第四号同五〇年五月二七日第三小法廷判決・民集二九巻五号六四一頁)とするところである。これと同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立つて原判決を非難するものであつて、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(団藤重光 岸盛一 岸上康夫 藤崎萬里 本山亨)

上告代理人下光軍二、同両角吉次、同安彦和子、同青山敦子の上告理由

第一、第二、〈省略〉

第三、原判決は、判決に影響を与えたる所得税法の解釈適用を誤つた違法がある。

一、前項で述べたように、財産分与の中核的性格は夫婦財産に対する潜在的持分の顕在化にすぎず、法的には共有の分割であり「資産の譲渡」に当らないのであるから、所得税法三三条一項を適用する余地はないのであるが、仮に財産分与に譲渡性を認めるとしても、同法三三条一項にいう「資産の譲渡」とは「有償による資産の移転」を意味しており、有償、無償を問わないとする原判決はこの点においても法律の解釈を誤つている。

原判決は「譲渡所得に対する課税は、資産の値上りによるその資産の所有者に帰属する増加益を所得として」その資産の譲渡に際して清算して課税する趣旨であるというが、右の解釈には何らの実定法上の根拠がないのである。

わが国の所得税法は第一に、所得の金額を「収入金額」または「総収入金額」として規定し、所得をすべて「収入」の形態においてとらえている。この「収入」の意義は、特別定義づけていない現行法のもとにおいては、私法または私経済上一般に用いられている概念をそのまま実体租税法においても用いられると理解されるから「収入」とは「経済価値の外部からの流入」という通常の用語にしたがつて解すべきである。そうすると、所得税法はこの「収入」という形態において実現した利得のみを課税の対象とし、保有資産の価値の増加益は課税の対象から除外していると解さざるを得ない。第二に、資産の増加益自体が所得であるとするならば、資産の有償譲渡の場合の所得金額は、資産の増加益相当額と代金額を基礎として算定し、どちらか高い方に課税するという結論を導かざるを得ないが、これは同法三三条三項の明文に反するのみならず、また実際にも有償譲渡の場合、値上り益を基準として課税していないから不合理は明らかである。

所得税法三三条一項は「譲渡所得とは、資産の譲渡による所得をいう」と規定しており、贈与等の「無償による資産の移転」の場合には、譲渡所得となる「収入金額」がないから譲渡所得はないものとして計算しなければならないはずである。それゆえにこそ、わざわざ同法五九条が例外規定をおき、法人に対する贈与等一定の限られた資産移転事由について「時価」で「資産の譲渡があつたものとみなす」こととしたのである。すなわち同法三三条一項および三項でいう「資産の譲渡」にあたらない「資産の移転」をも「資産の譲渡があつたものとみな」していることにほかならず、このことは同法三三条の「資産の譲渡」とは「有償による資産の移転」を意味しているものといわなければならない(佐藤義行、判例時報七九二号の判例評論一四三頁、なお高梨克彦、法律のひろば―二八巻一〇〇号―、妻の地位と税法上の問題点四三頁)。そして所得税法五九条二項によれば、個人に対する贈与については、課税を譲受人に繰りのべることを認めている。財産分与は同条二項に列挙する場合にあたらないから、恣意的資産の移転である贈与にくらべ、「法律上の義務」としてなされる財産分与による資産の移転の方が不利に扱われる結果となるが、これはすべて原判決が同法三三条一項の資産の譲渡を有償、無償を問わないとする誤つた解釈によつて生じた不均衡な結果である。

二、また原判決は「財産分与として資産を移転した場合、分与者はこれによつて分与義務の消滅という経済的利益を亨受したもの」として、財産分与についても所得税法三六条にいう「経済的利益」の概念をあてはめているのであるが、同条一項の「その年において収入すべき金額」が「金銭以外の物又は権利その他経済的利益をもつて収入する」場合とは、契約とか法律の定めるところにより法律上権利として流入すべき利益を指すもので、財産分与という法律上の義務によつて資産の流出したことをもつて「経済的利益」を得たものと解することはできないのである(佐藤義行、同一四四頁)。

原判決はまたその第一審判決を引用して「財産分与の調停に基づく債務の履行」というが、前記一項に述べたように財産分与の本質が共有持分の分割であるとすれば、財産分与請求権は物権的請求権であつて債権、債務を新たに発生させるものではないから、「債務の弁済による経済的利益」について論ずるまでもないことになる。これを原判決のように「義務の消滅」と言いかえても、やはり共有物の分割に際し「分割義務の消滅」に所得をみて課税することができないから同様の結論となる。

三、所得税法は実質課税であることは顕著な事実であるが、本件においては上告人は実質的になんらの資産利益を得ていない。

原判決は本件不動産の値上り益を譲渡利益としているが、有償譲渡ではないのであるから、実際には一銭の所得もない。単なる税法上の評価にすぎない。法律で利益があつたものとの擬制にすぎない(この値上り益の規定はあつても値下り税の規定がないということは片手落ちであり、公平の原則に反する)。要するに法律の擬制による利益であつて実質的な利益とはいい難いので、実質課税の原則に反するといえよう。

四、本件財産分与の課税は不公平でしかも衡平の原則に反する点がある。端的にみても財産分与を受けた方は何らの課税がされないのに、分与した方に課税されるという不公平感がある。しかも金銭その他の動産で財産分与した場合は課税されないのに、不動産の場合には課税されるというのは誠に不可解な課税である。

それに贈与税も昭和五〇年一月一日から、二〇年以上の夫婦間における配偶者に贈与する場合、居住用不動産又はその資金という条件はついているものの金一〇〇〇万円の現金又は相当額の不動産の場合は関与税はかからないし、もちろん贈与者には何らの課税もなされない。同時に相続税においても配偶者に対してはほとんど課税されないように(大体四〇〇〇万円まで非課税)なつている。これらは、当局でも、「妻の座の優遇」措置と言明しているが、これはとりもなおさず夫婦の平等を一層押し進めるというか、形式的平等を実質的平等に一歩前進せしめた意味をもつものであろう。その根底には民法七六二条や七六八条が妻の財産権を明確に保証していないこと、それに妻の相続分の少ないことが今日の国民の平等意識や夫婦の生活実態と合わなくなつていることを考慮したものであることは争えない事実であろう。

このように民法の法規のあいまいさや不備欠陥(我妻栄氏の指摘による)にかかわらずこれを基礎として前述のように疑問の多い硬直した税法を適用して、なおかつ本件上告人に課税を強行するということは不公平であり、かつ衡平の原則に反するものでなくてなんであろうか。

五、以上述べたとおり、原判決は財産分与についての解釈を誤り、財産分与による資産の分割を「譲渡」とした点、及びこの資産の移転(共有持分を分割して、自己名義にする行為にすぎないが)が、分与者に経済的利益の流入をもたらしたとする点、擬制的所得にすぎないこと、税法における公平と、衡平の原則を無視したものであること等で、所得税法三三条一項、三項、三六条の解釈、適用の誤りがあり、その違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

以上の理由により原判決は破棄さるべきものと信ずる次第である。

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